オルテガの時代と我々の時代

>>1800年から1914年までに…ヨーロッパの人口は1億8千万から4億6千万へと増大した…わずか三世代の間に莫大な人的資源が産みだされ、急流のように歴史の平野に流れこみ、溢れだしたのだ…人口増加の目もくらむばかりの速さというのは、人びとに伝統的な文化を滲みこませるのが容易でないほどの急ピッチで、大量の人間を次から次へと歴史の上に吐きだした…(「大衆の反逆」)<<
江戸時代を通じて3千万程度に停滞していた日本の人口も昭和50年代には1億2千万に達している。この大量の人間を産みだしたものは、言うまでもなくヨーロッパ人が全面的に採用したそれまで人間が経験したことのない産業化という新しい生産様式であった。大量の人間を産み出した新しい生産様式は人々を新たな事態に直面させる。
>>過去と現在の決定的乖離…が近年における生の異常な混乱をひき起こしている。われわれ現代の人間は自分たちだけが突然この地上にとり残されてしまったのだ、死者たちは冗談に死んだふりをしているのではなく完全に死んでしまったのであり、もはやわれわれを助けてくれないのだと感じている…われわれは自分たちの問題を過去の積極的な協力なしに…自ら解決しなければならない…そのかたわらには生ける死者はいない<<
必要とするよりもはるかに多くのモノを生産する仕組みを発明してしまった時代は、その先頭を走る国々において再び新たな局面に差しかかっている。われわれは100年前にオルテガが指摘した自分たちの問題を解決し得たのだろうか?
独り言を人前で公然と、饒舌に語り始めたわれわれの時代、もちろんそこでは死者たちは痕跡さえ残していないし、ひょっとすると他者さえ存在し得ないのかも知れない。
少なくとも他者が存在しないということは自分が存在しないということと同じだろう。