2018-05-01から1ヶ月間の記事一覧

生物は自己言及的な存在である。

キルケゴールによれば、決められた行動であっても自ら選んで行動する場合でも、一歩引いたところに身を置くことによって人間は「自己」になる。そうした行動に対する自分自身の関係を評価することができる限りにおいて、人間が「自己」になる。つまり、「自…

虚空から一体どのようにして意味が生じてくるのか。

150億年前のビックバン〜不規則なゆらぎ〜物質の集塊の存在理由〜集まる原因・発端結局のところ、何もない、という考えは人の心をはなはだ落ち着かなくさせる。何もないとの考えは、それを考えること自体が困難であり、科学は全てこれから逃れようと必死にな…

世界を認識する最初の規則

ベイトソンの考えを簡潔に言えば、音声言語では何かがないことを、つまり「〜がない」という否定を表現できるようになったことが身振り手振りとは決定的に違う点だ、ということである。(ジェスパー・ホフマイヤー『生命記号論』,pp24-25)ウィルデン(Antho…

自我・・・自己とその像との分裂

この分裂は人間の欲求の鍵をも握っている。その分離を再びもとの一体のものにまとめ上げたいという熱望こそが、人生そのものである。・・・この分裂に由来する欲求こそが、世界に意味を与え、私たちに意味を求めさせるものだ。・・・意味はそこにあるもの自体によ…

<他者>とは

私たちがあれこれの対象を欲したり望んだりするにあたっては、欲望する私たち自身の存在が、何者かによって欲望されていなければならない。 つまり欲望するために、欲望してもらう、すなわち欲望は社会的に「転移」さ れることが必要なのである。 私→他者へ…

対象aに向けられる他者の欲望が、欲望の原基である。

①他者という普遍の位置から自分を見る。元の自分はもう元に位置にはいない。「いなくなってる」はずの自分を、見失ったままで見出すことなど論理的に矛盾している。 ②そこで「いない」ということを、一つの「不在の対象」としてそれを「見出す」ということが…

対象aを要請するもの

■人間は、己の経験を示す言葉[シニフィアン]を駆使して、論理の世界を構成し、ついには自分自身を示す言葉[シニフィアン]を求めるに至ったが、この自己言及の関係だけは、論理的に保証されなかった。この部分に、言葉ではなく対象aが生じ、対象aが他者の欲望の対象で…

話す私と存在する私の関係

■話す存在自体が確かに存在しているということは、言語外のものによって支えられなければならない。‥無力な受難として、他者の語らいを受けているだけの存在は、同時に、私の言表の真実性を支える現実存在でもある。そうした存在は、過去における他者の語ら…

私という他者

私が語りの対象となるとき、語られる者という他者にならざるを得ない。人間は大文字の他者を介してしか、他者になることでしか私になれない。かって同一化していた他者の話しぶりや口癖を甦らせて、再び他者になることを経験しながら

<他者>が欲望しているということはそもそもあり得るのだろうか?(『フロイト=ラカン』p114)

その宛先として現れることで、主体が表象されることに貢献するような騙さない<他者>がある。‥この<他者>は‥解をあらかじめ知っているがゆえに宛先の資格を得ているのではない。<他者>はただ、主体が解を求める道行きそのものを可能とする。<他者>が…