大阪維新ハラスメント事例

維新の連中の言動はやるべきことをやらない、サボタージュすることで成り立っている。何をやるべきか自信がない、信念がないから、虚勢を張ってやらなくていいことを辻褄合わせでやるのである。万博・カジノというカラ景気だけのはったりイベント、政令指定…

世界を記号操作する

1 近代社会において「優秀さ」とは、記号操作に長けているということ 多数で、多様で、相互作用する、生成、変化、消滅する<世界>を記号化し操作する能力 =記号で出来てない<世界>を、単一化し、単純化し、適当な因果対応をつけながら 記号に置き換え…

「存在・神学」を主体における断層面として考えて見る(2)

人間が生きる営みにおいて、「経験」と「予期」という契機が働いているには違いない。 「過去」を「経験の空間」、「未来」を「予期の地平」とし、それぞれに「存在」と「神学」対応させることとする。(ラインハルト・コゼレクの表現) 存在 ・ 神学 過去 …

「存在・神学」を主体における断層面として考えて見る(1)

「コゼレクによれば、経験には各人がみずからなしたことや、他者の事績で直接・間接的に知りえたことが、時系列的に整序されずに層をなしてたくわえられている。いずれの部分にもランダムにアクセス可能なものとして、それは「空間」という三次元的な比喩が…

<物>が対象化されるということ

①共同作業のための合図としての音声言語 共同・協同・協働 ②シンボルとしての言葉 言葉を獲得したとき「与えられた刺激や刺激群に直接反応するだけでなく、その刺激群を<物>として対象化できるようになる。」 言葉がコミュニケーションの手段として使用さ…

何が違うのか

「存在(<存在>という視点の設定という出来事)を畏敬し、それに随順し、それと調和し、いわばそこに包まれて生きることと、その<存在>をことさらに<それはなんであるか>と問うこととは、まったく違う‥。 「そのように問うとき、すでにあの始原の調和…

ではアドルノはキルケゴールにいかなる意義を見出すのか。

それは‥絶対的な宗教性の意味を覚醒させた点にではなく、むしろ主体性の形而上学というドイツ観念論(から実存哲学に至る伝統)の自己崩壊を体現し、そこに含まれている神話的なものが、じつは歴史的なもの(乗り越え可能なもの)であることを示した点に求め…

<事実存在(実存)>か、<本質存在>かではなく

どちらが優先するかではなく、根源的に一元論的存在 <事実存在>・Existentia Leibnitz 『単子論』 Kant 自由「何の原因もなしに新たに出来事の系列をはじめる能力」、因果律は現象界に関して隈なく成り立つが、物自体の世界には及ばない。道徳的実践の場面…

ハイデガーの存在概念2(整理)

『それは何であるか――哲学とは』(1955年) 「存在(<存在>という視点の設定という出来事)を畏敬し、それに随順し、それと調和し、いわばそこに包まれて生きることと、その<存在>をことさらに<それはなんであるか>と問うこととは、まったく違う‥。」 …

ハイデガーの存在概念(整理)

①Vorsokratiker 「このばあい、<存在=被制作性>とは異なる存在概念として彼[Heidigger]の念頭にあったのが‥<存在=生成>と見る存在概念で‥すべてのものを自然[フュシス]と見、<存在する>ということは<成ること[フュエスタイ]>だと見ていた<ソクラテス…

幻聴の起源

「‥言葉の幻聴は、行動を統制する方法としての自然淘汰によって進化した言語理解の一副作用だった‥。 「ある男が、居住地を流れる川のはるか上流に、魚を捕るためのやなを仕掛けるように命じられたとする。もし男に意識がなければ、当然状況を<物語化>する…

脳の組織のされ方(インストール)

「<二分心>の時代には、ウェルニッケ野に相当する右(劣位)半球の領域には精密な<二分心>の機能があったが、発達の初期段階で<二分心>が生まれてもその発達が阻害されるような心理的再組織化が1000年にわたって行われ、この領域は異なる機能を持…

二つの部分から成る脳

「何十億という神経細胞が複雑な経験を片側で処理し、非常に小さな交連を通して反対側に結果を送らなくてはならない。そのためには何らかの暗号、つまり非常に複雑な処理を前交連の数少ないニューロンを通して伝達できるような形に圧縮することを可能にする…

「綜合とは内容に従えば自然支配にひとしい」

「≪・・・われらは前の方をもうしろの方をも/見ようとしない、波の動きに身をゆだねて、/海に浮かんでゆらぐ小舟に乗っているように。≫ ・・・それにしても最後の三行は、静かな侘しさをたたえてかすかに揺いでいるような音調において比類ない。 「アドルノはこ…

ゲーテのデモーニッシュdämonischなもの

「この<デモーニッシュなもの>の概念をもってゲーテは、その自伝作品の最期の章を書き出している。「この伝記的な報告を進めるなかで、子供が、少年が、青年が、それぞれに異なった道をたどって、超感性的なものに近づこうとした様をつぶさに見てきた。初…

エロス的欲動と死の欲動は対称的な二つの欲動か?

●蚊居肢(http://kaie14.blogspot.com/2016/01/blog-post_27.html) 疑いもなく、エゴイズム・他者蹴落し性向・攻撃性は人間固有の特徴である、ーー悪の陳腐さは、我々の現実だ。だが、愛他主義・協調・連帯ーー善の陳腐さーー、これも同様に我々固有のもの…

パースPeirceの四分円(quadrant)

●ある存在するものについての普遍的命題の真理性は、それに反するものが一つでも存在することで否定される(「すべての人間は死ぬ」は真である)が、存在を前提としない普遍的命題では、真偽を判定できない(「すべての火星人は死ぬ」)。 すべての・いくつ…

生物は自己言及的な存在である。

キルケゴールによれば、決められた行動であっても自ら選んで行動する場合でも、一歩引いたところに身を置くことによって人間は「自己」になる。そうした行動に対する自分自身の関係を評価することができる限りにおいて、人間が「自己」になる。つまり、「自…

虚空から一体どのようにして意味が生じてくるのか。

150億年前のビックバン〜不規則なゆらぎ〜物質の集塊の存在理由〜集まる原因・発端結局のところ、何もない、という考えは人の心をはなはだ落ち着かなくさせる。何もないとの考えは、それを考えること自体が困難であり、科学は全てこれから逃れようと必死にな…

世界を認識する最初の規則

ベイトソンの考えを簡潔に言えば、音声言語では何かがないことを、つまり「〜がない」という否定を表現できるようになったことが身振り手振りとは決定的に違う点だ、ということである。(ジェスパー・ホフマイヤー『生命記号論』,pp24-25)ウィルデン(Antho…

自我・・・自己とその像との分裂

この分裂は人間の欲求の鍵をも握っている。その分離を再びもとの一体のものにまとめ上げたいという熱望こそが、人生そのものである。・・・この分裂に由来する欲求こそが、世界に意味を与え、私たちに意味を求めさせるものだ。・・・意味はそこにあるもの自体によ…

<他者>とは

私たちがあれこれの対象を欲したり望んだりするにあたっては、欲望する私たち自身の存在が、何者かによって欲望されていなければならない。 つまり欲望するために、欲望してもらう、すなわち欲望は社会的に「転移」さ れることが必要なのである。 私→他者へ…

対象aに向けられる他者の欲望が、欲望の原基である。

①他者という普遍の位置から自分を見る。元の自分はもう元に位置にはいない。「いなくなってる」はずの自分を、見失ったままで見出すことなど論理的に矛盾している。 ②そこで「いない」ということを、一つの「不在の対象」としてそれを「見出す」ということが…

対象aを要請するもの

■人間は、己の経験を示す言葉[シニフィアン]を駆使して、論理の世界を構成し、ついには自分自身を示す言葉[シニフィアン]を求めるに至ったが、この自己言及の関係だけは、論理的に保証されなかった。この部分に、言葉ではなく対象aが生じ、対象aが他者の欲望の対象で…

話す私と存在する私の関係

■話す存在自体が確かに存在しているということは、言語外のものによって支えられなければならない。‥無力な受難として、他者の語らいを受けているだけの存在は、同時に、私の言表の真実性を支える現実存在でもある。そうした存在は、過去における他者の語ら…

私という他者

私が語りの対象となるとき、語られる者という他者にならざるを得ない。人間は大文字の他者を介してしか、他者になることでしか私になれない。かって同一化していた他者の話しぶりや口癖を甦らせて、再び他者になることを経験しながら

<他者>が欲望しているということはそもそもあり得るのだろうか?(『フロイト=ラカン』p114)

その宛先として現れることで、主体が表象されることに貢献するような騙さない<他者>がある。‥この<他者>は‥解をあらかじめ知っているがゆえに宛先の資格を得ているのではない。<他者>はただ、主体が解を求める道行きそのものを可能とする。<他者>が…

自己の自己性

●外部の他者による自己規定 エリクソンの「自我同一性」の概念は「私というものを即自的に外部の枠組によって捉えた規定である。・・そのような自我同一性は必然的に他者による認知を必要とする。」(木村敏『自己と時間』,p.76) ●内部の他者による自己規定 「…

隣人を愛すること

ひとまず、母が子を愛するのは自然、或いは自明なことか?ということから考える。A 他者からの贈与と他者への贈与が一つのことであるような生を考えてみる。(母−子) B 他者のための生産が自己のための生産に帰結するような行為を考えてみる。(分業) C も…

「三人の囚人」の寓話

1 三人の囚人A・B・Cがいた。所長がやって来てこう言った。「ここに5枚の円板がある。3枚は白〇〇〇で2枚は黒●●だ。これをお前達の背中に貼り付ける。他人の背中を見ることは許されるが、話をしてはならない。そうして、自分の背中の円盤の色が分かった者だ…