対象aに向けられる他者の欲望が、欲望の原基である。

①他者という普遍の位置から自分を見る。元の自分はもう元に位置にはいない。「いなくなってる」はずの自分を、見失ったままで見出すことなど論理的に矛盾している。
②そこで「いない」ということを、一つの「不在の対象」としてそれを「見出す」ということが必要となる。不在の空虚から幻覚的にそうした対象を「生み出し」、対象とするのである。
③この対象に向けられている欲望は、己の欲望のようであるが、他者から自己の不在に対して向けられている欲望である。
      (新宮一成立木康介編『フロイトラカン』,p52-3)

ここで行われていることは、他者から欲望されているものとしての主体の創設(捏造)である。

対象a  糞便、乳房、まなざし、声
他者によって欲望されていた幼かった私、その痕跡としての対象aは、我々が我々の根拠(確かに生かされていたこと)を思い描くことを助け、我々の根拠の欠如(十全な充足はもはやなく、言葉によって他者の中で生きていかねばならないこと)を埋め合わせてくれる。我々は他者の中へ自らを運命的に疎外いたのだが、それでも元の自分を、これらの小さく無定型な姿で、他者の語らいの中に留め置くことを忘れなかった。