対象aを要請するもの

■人間は、己の経験を示す言葉[シニフィアン]を駆使して、論理の世界を構成し、ついには自分自身を示す言葉[シニフィアン]を求めるに至ったが、この自己言及の関係だけは、論理的に保証されなかった。この部分に、言葉ではなく対象aが生じ、対象aが他者の欲望の対象であることにより、辛うじて、我々の経験を示す言葉[シニフィアン]の世界の有意味性が保たれているのである。対象aは、そのつどいろいろな形をとるが、そのどれもが‥根源的な受動経験を体現するものである。‥
 言語という他者と人間主体との間の最も中心的な関係は、[言語が他者に由来する以上]人間が自分自身[であること]を示す言葉[シニフィアン]をもっていないということの中にある。この欠如に直面して、人間は自分自身を、言語という他者にとっての欲望の対象として経験することになった。(新宮一成ラカン精神分析』,p133)