2019-06-01から1ヶ月間の記事一覧

「存在・神学」を主体における断層面として考えて見る(2)

人間が生きる営みにおいて、「経験」と「予期」という契機が働いているには違いない。 「過去」を「経験の空間」、「未来」を「予期の地平」とし、それぞれに「存在」と「神学」対応させることとする。(ラインハルト・コゼレクの表現) 存在 ・ 神学 過去 …

「存在・神学」を主体における断層面として考えて見る(1)

「コゼレクによれば、経験には各人がみずからなしたことや、他者の事績で直接・間接的に知りえたことが、時系列的に整序されずに層をなしてたくわえられている。いずれの部分にもランダムにアクセス可能なものとして、それは「空間」という三次元的な比喩が…

<物>が対象化されるということ

①共同作業のための合図としての音声言語 共同・協同・協働 ②シンボルとしての言葉 言葉を獲得したとき「与えられた刺激や刺激群に直接反応するだけでなく、その刺激群を<物>として対象化できるようになる。」 言葉がコミュニケーションの手段として使用さ…

何が違うのか

「存在(<存在>という視点の設定という出来事)を畏敬し、それに随順し、それと調和し、いわばそこに包まれて生きることと、その<存在>をことさらに<それはなんであるか>と問うこととは、まったく違う‥。 「そのように問うとき、すでにあの始原の調和…

ではアドルノはキルケゴールにいかなる意義を見出すのか。

それは‥絶対的な宗教性の意味を覚醒させた点にではなく、むしろ主体性の形而上学というドイツ観念論(から実存哲学に至る伝統)の自己崩壊を体現し、そこに含まれている神話的なものが、じつは歴史的なもの(乗り越え可能なもの)であることを示した点に求め…