エロス的欲動と死の欲動は対称的な二つの欲動か?

●蚊居肢(http://kaie14.blogspot.com/2016/01/blog-post_27.html
疑いもなく、エゴイズム・他者蹴落し性向・攻撃性は人間固有の特徴である、ーー悪の陳腐さは、我々の現実だ。だが、愛他主義・協調・連帯ーー善の陳腐さーー、これも同様に我々固有のものである。どちらの特徴が支配するかを決定するのは環境だ。(Paul Verhaeghe What About Me? 2014 )
90年以降の「市場原理主義」の時代の標語は、生産性、競争性、革新、成長、アウトプット、プレゼンテーション等々だろう。これら「経済のディスクール」が席捲する時代は、「エゴイズム・他者蹴落し性向・攻撃性」という人間のタナトス的性格が支配する時代、すなわち弱肉強食の社会ダーウィニズムの時代である、《事実、勝ち組・負け組、自己責任といった言葉が臆面もなく使われたのだから》(柄谷行人)、《今、市場原理主義がむきだしの素顔を見せ、「勝ち組」「負け組」という言葉が羞かしげもなく語られる時である》(中井久夫
ネオリベ的エゴイズム・他者蹴落し性向・攻撃性(悪の陳腐さ) 
人間のタナトス的性格(死の欲動)、融合を目指すエロス的欲動による個の消滅の誘惑から逃れ、個人としての能動性の確保しようとする
●愛他主義・協調・連帯(善の陳腐さ)
<大文字の母>との融合を目指すエロス的欲動、究極的に個体の消滅<死>を目差す、依存性、受動性である。

生命的な欲動が内に向かうか、外に向かうか、融合的か攻撃的か
外なる対象にむけて、関わり続け、与え続ける志向
内なる欠如を表象し、外なる対象によって欠如を埋めさせようとする志向
エロス、タナトスともに独り占めの志向はあるように思われる。
人は与えられる存在から、成長し与える存在になる。この反転は社会的な付け替えによって起きるのか?(共同体の存続条件)