60年前、出生直後に別の新生児と取り違え

「2歳の時に育ての父親が死亡。生活保護を受けながら貧乏ながらも3人の子供を育てた」という母親が生きていたとすれば、「真実の両親の庇護の下で経済的に不自由のない環境で養育され、望みさえすれば大学での高等教育を受ける機会を与えられたはずであったのに、誤って(別の)夫婦の下に引き取られてしまった結果、困窮した生活の中で、およそ大学進学を望めるような環境になかったことは明らか」だという司法の言葉をどう理解しただろう。
親から子供に贈られるものが、親の経済状態に左右されるというのであれば、それは対価性があり、比較が可能なものだということになる。裁判自体は、病院の過失を問うものであったとしても、結果として親から子への<贈与>を、比較可能なものの<贈与=交換>へと性格を変える意味を持ってしまっている。


>>「父であること」は、父として妻や子どもに語りかける主体があり、その主体を迎え入れる存在があってはじめて成り立つひとつ機能であり、化学薬品と精密機械による染色体の解析から得られる情報とは根本的に異なる次元に位置づけられる。<<(立木康介『露出せよ、と現代文明は言う』、p97)